モンゴル語を話す人々は、「モンゴル国」と「内モンゴル自治区(中国)」に分かれて生活しています。しかし、モンゴル語の「書き言葉」には大きな違いがあり、モンゴル国では「キリル文字」が使われ、中国の内モンゴル自治区では「伝統的なモンゴル文字(縦書き)」が主に用いられています。この結果、多くのモンゴル人が自らの伝統文字を読めなくなり、文化的なアイデンティティの危機に直面しています。本記事では、この問題の背景や課題、そして今後の展望について詳しく解説します。
1.なぜモンゴル国はキリル文字を採用したのか?
なぜモンゴル国はキリル文字を採用したのでしょうか?それはモンゴル文字の歴史的変遷とソ連との影響が大きくかかわっています。
① 伝統的なモンゴル文字の歴史
モンゴル語を表記するための文字は歴史的にいくつかの変遷をたどってきました。
• モンゴル文字(1204年〜):チンギス・ハーンの時代に採用された縦書きの文字。現在の内モンゴル自治区で主に使用。
• パスパ文字(13世紀):元朝(1271〜1368)の時代に作られたが、短命に終わる。
• トド文字、満州文字(17世紀):モンゴル語の表記法の一種だが、広く普及しなかった。
このように、モンゴル語の表記には歴史的に様々な文字が使われてきましたが、最も長く使われているのは「伝統的なモンゴル文字(縦書き)」です。
② ソ連の影響とキリル文字への切り替え
1924年にモンゴル人民共和国が成立すると、ソビエト連邦の強い影響を受けるようになりました。1941年、モンゴル政府はモンゴル語をキリル文字(ロシアのアルファベットに似た表記)で書くことを決定しました。この決定の背景には以下のような理由がありました。
• 識字率向上のため:伝統的なモンゴル文字は筆記が複雑で、識字率の向上に時間がかかると考えられた。
• ソ連との関係強化:ソビエト連邦との政治的・経済的な結びつきを強めるために、ロシア語に似たキリル文字を採用。
• 社会主義教育の統一:共産主義思想を広めるために、ソ連式の教育システムを導入。
こうして、1946年以降、モンゴル国内の教育や公文書はすべてキリル文字で書かれるようになりました。
2.キリル文字採用の影響
キリル文字を採用したことで、3つの問題が起きています。
① 伝統的なモンゴル文字を読めない世代の増加
1940年代以降に生まれたモンゴル人の多くは、キリル文字で教育を受けました。そのため、現在のモンゴル国では 伝統的なモンゴル文字を読めない人が多数派 になっています。特に、若い世代ほど伝統文字に触れる機会が少なくなり、文字文化の断絶が深刻な問題となっています。
② 内モンゴルとの文化的な分断
中国の内モンゴル自治区では、現在も伝統的なモンゴル文字が公式なモンゴル語表記として使われています。このため、モンゴル国の人々と内モンゴルの人々が同じモンゴル語を話していても、 書き言葉が異なるために意思疎通が難しい という問題が生じています。
例えば、モンゴル国の人が内モンゴルの本や新聞を読もうとしても、伝統的なモンゴル文字に慣れていないために理解できないことが多く、文化的な分断が進んでいます。
③ 文化アイデンティティの喪失
モンゴル文字は単なる表記法ではなく、モンゴル民族の伝統やアイデンティティの象徴でもあります。しかし、キリル文字の普及によって、モンゴル国の人々は 自分たちの伝統的な文字を使えない状態 に陥り、「本来のモンゴル文化を失いつつあるのではないか」という懸念が広がっています。
3.伝統的なモンゴル文字復興の取り組み
こうした状況を受けて、モンゴル国では 伝統的なモンゴル文字を復活させよう という動きが出てきています。
① 1990年代以降の教育改革
1992年の民主化以降、モンゴル政府は伝統文字の教育を推進し始めました。現在、小学校のカリキュラムにはモンゴル文字の授業が含まれており、一部の若者は読めるようになっています。しかし、キリル文字が圧倒的に普及しているため、実際に日常的に使う人は少ないのが現状です。
② 公式文書のモンゴル文字化の試み
2020年、モンゴル政府は 「2025年までに政府の公文書をキリル文字とモンゴル文字の両方で記載する」 という計画を発表しました。これは、伝統文字を公的な場面で使用し、社会全体で復興を図る試みです。しかし、実際にどこまで実行されるかは不透明な部分もあります。
③ デジタル時代の新たな課題
現代のデジタル環境では、キリル文字の方が扱いやすく、モンゴル文字を使用するには特別なフォントや入力方法が必要になります。そのため、SNSやインターネット上ではキリル文字が圧倒的に優勢であり、モンゴル文字の復興には技術的なハードルも存在します。
4.まとめ
モンゴル国がソ連の影響でキリル文字を採用した結果、伝統的なモンゴル文字を読めない世代が増え、文化的な分断やアイデンティティの喪失が問題になっています。近年では、伝統文字の復興を目指す動きが出てきていますが、キリル文字がすでに深く根付いているため、実際に社会全体で広まるには時間がかかるでしょう。
モンゴル語の文字問題は単なる表記の違いではなく、民族のアイデンティティや文化の存続に関わる重要な課題です。今後、政府の取り組みやデジタル技術の発展がどのように影響を与えるのか、注目していく必要があります。
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